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My Integration日本学 教員インタビュー

学際的な共同研究の
経験と成果を

人文分野に持ち帰り、
新たな展開を。

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大学院文学研究科 准教授

木山 幸子 KIYAMA Sachiko

意味を持たない終助詞の役割を実験を通して明らかにしたい。
意味を持たない終助詞の役割を実験を通して明らかにしたい。

複雑化する現代社会では、言語運用面での困難を感じ、そのために生きづらさを抱えている人が少なくないのではないかと思います。私は、そのような現代における課題解決に寄与することを目指して、言語の社会的機能や感情的機能を解明すべく、脳波やMRIなどを使う実験的な研究を行っています。心理学や認知神経科学、生理学、精神医学など、さまざまな分野の研究者と協力し合いながら共同研究プロジェクトを進めていることも、私の研究の特色の一つです。

具体的には、日本語や中国語、韓国語などの東アジア言語に共通する文末の表現、日本語で言えば終助詞(「楽しいね」の「ね」、「わかってるよ」の「よ」など)にフォーカスし、研究を進めています。それ自体は意味を持たないたった一文字の終助詞が、その有無によって人をほっこりさせたり、怒らせたりもする。「よ」や「ね」を聞いた時、人はどう感じ、脳内では何が起こっているのか、それを探るために、脳波によって脳機能を測ったり、瞳孔の動きを観察したり、さらにMRIの撮影によって脳のどこの場所が言葉の感情的な機能や社会的な機能をつかさどっているのかを、他分野の研究者ととともにプロジェクト研究を行っています。

最近の研究では、発達障害の一つである自閉スペクトラム症の人は「ね」や「よ」をあまり使わない、使ったとしても言い方がちょっと不自然という観察に注目し、発達障害の人たちの言語の使い方を、調査や実験で明らかにすることにより、そうした人たちとの間でお互いをどう理解し、どう受容していけるかという面で、新たな知見を提供したいと考えているところです。こうした現代的な課題解決に取り組むこのプロジェクトには、精神疾患を抱えた人にどんな言葉を使って働きかけたらいいのかという問題意識を持つ精神医学の研究者のほか、脳機能の解明に取り組む生理学の研究者、エンジニアとしての視点からより精度の高いMRI撮影をめざす研究者、言語機能に関心のある心理学の研究者にもさまざまな面でご指導をいただいています。

専門分野の垣根を超えて、新たな視点、学びの場を提供。
専門分野の垣根を超えて、新たな視点、学びの場を提供。

終助詞の研究を始めてから、すでに10年以上が経ちます。学位を取得して、これからは自分らしい研究を一つ持つことが必要だという思いから取り組み始めました。最初は一人でのスタートでしたが、脳波の実験をもとにした論文を国際誌に発表したことをきっかけに、協力を申し出てくださる方が現れ、さらにいろいろな方に繋いでいただくことで、徐々に共同研究の輪が広がっていきました。

2017年に東北大学に着任し、その後、日本学国際共同大学院(GPJS)のプログラムにも教員の一人として参加させていただきました。言葉の感情的な機能や社会的な機能を探究していくうえで、日本古来の文化的な背景や日本語の歴史的な変遷に対する理解は欠かすことのできないものであり、そうした面では、文学や地域研究を専門とする研究者が多く所属するGPJSの存在は心強い存在だと感じています。また、実験的な研究に取り組んでいるGPJSの教員の一人として、自然科学分野の研究者との共同研究の経験や成果を人文科学の世界に持ち帰るとともに、これまで実験してきたことの意味をあらためて考える、そのための機会となるよう、GPJSの中で勉強させていただいていると感じます。

GPJSに所属する教員としては、学生のみなさんに対しどんな教育を提供するかというのが第一であるべきだとは思いますが、一方で、まだ経験の浅い私のような教員にとっても大きな気づきの場となっています。先生方が、それぞれの分野で、それぞれの研究室で、教育者として学生たちのことをいかに考え、日々教育に取り組んでいらっしゃるのか。私はGPJS内の教員同士の相互交流を通して、そのことを初めて知ることができました。

私の所属する言語学研究室に、GPJSプログラムに採用された中国からの留学生がいます。その学生は、日本語と中国語のバイリンガルの子どもたちの助けとなれるよう、子どもの言語発達や言語習得について実験的な研究を行いたいと考えていました。その研究には、中国人の子どもが通う日本の小学校の実態や教育制度について、理論的で実際的な情報が必要だと考えた私たちは、教育学研究科の教員に指導を依頼。日本の学校での外国人の子どもの教育体制という観点からご指導いただいています。言語学の研究室の中だけでは、視野が言語学の中にのみ限られてしまいがちです。研究テーマによっては、文学や人類学、教育学などさまざまな分野が関係してくることでしょう。この学生に対し、新たな視点、新たな学びの場を提供できるのは、人文・社会科学の研究者を横断するGPJSというプログラムがあったからこそだと思います。

俳句の実験研究を通して、地域のみなさんとの交流を。
俳句の実験研究を通して、地域のみなさんとの交流を。

ここ2、3年の間に新たに取り組み始めたのが、俳句の実験研究です。「古池や蛙飛び込む水の音」の「や」など、いわゆる切れ字というのも一種の終助詞で、それ自体意味はありません。意味はないけれど、それを置くことで感嘆というのか詠嘆というのか、何かしら詩的な効果を生じさせていると考えられます。世界で最短の定型詩である俳句は、日本の詩の形の一つです。日本に限らず、いろんな文化で詩は享受され、英語でもフランス語でもギリシャ語でも、それぞれの文化に詩はあります。知らない人が作った詩に、どうして人は感激するのだろう。人間にとって詩とは何なのだろう。詩を読んだ時、人の中では何が起きているのかを、脳機能といった視点から解明を進め、人文系の文脈の中で語ってみたい、というのが最初の動機でした。

この研究のため、地域の方をお招きして吟行と句会を開催しました。俳句を素材に脳機能実験を行うには、広く知られた名句だけでなく、普通の人が書いた普通の句も必要です。そうした趣旨をあらかじめ説明し、本学の附属植物園を学生たちとともに散策しながら、句を詠んでいただきました。俳句を刺激とした時に、人の頭の中で何が起こっているのかを調べるため、そこで集まった句も使いながら種々の実験研究を進めているところです。

句会の開催には、実験研究のためだけでなく、地域のみなさんとの文芸的な交流の場を持ちたいという思いもありました。詩に親しむことの効用を実感していただくとともに、脳波を使った私たちの実験研究の内容や成果をお伝えしていく。さらに今後は、GPJSの先生方にそれぞれが持っている専門的な知識やお知恵をお貸しいただき、大学と地域が交流する場にすることができたら素敵だなと思います。GPJSが大学の中にいる教員と学生だけで完結するのではなく、もう少し地域に広げていけたらいいなという夢を私は描いています。

学生一人ひとりを真剣に、大切に考えるGPJSの教員たち。

これまでGPJSのプログラムに採用された学生には、海外からの留学生が目立つと聞いています。この背景には、日本人の内向き志向があるのかもしれません。プログラム生として採用されている中国人の留学生をみると、とても情熱的で積極性があると感じます。そうした留学生から刺激を受け、提携するヨーロッパの大学への留学などに挑戦する日本人の学生がさらに増えることを期待しています。

GPJSプログラムのもう一つの魅力が、充実した経済的支援だと思います。東北大学の学部生は優秀な人が多く、とてもひたむきに、卒業論文でとても良い研究をしている学生がいます。それでも文系では、大学院進学者の数は少ないのが現状です。大学院進学に興味はあるけれど、経済的な理由から躊躇しているということであれば、経済的なサポートの厚いGPJSプログラムについてぜひ相談してほしいと思います。

GPJSのメンバーとなっている先生方は、ご自分の専門に関わらず、プログラム生一人ひとりを真剣に、そして大切に考えてくださることでしょう。提携校への留学についても、それぞれの学生に最適な留学先を探すため、骨を折ってくださいます。先生方のそうした姿に私自身感銘し、教員として学ぶところが大きいと感じています。そうした先生方がいらっしゃるところ、それがGPJSだということは繰り返し伝えていきたいと思います。

Profile
  • 東北大学大学院文学研究科 准教授。博士(文学)。
    2002年、早稲田大学第一文学部卒業。2005年、東京外国語大学大学院地域文化研究科博士前期課程修了。2011年、麗澤大学大学院言語教育研究科博士後期課程修了。名古屋大学大学院国際言語文化研究科研究員、国立長寿医療研究センター研究員、三重大学教養教育機構特任講師をへて、2017年より現職。
  • 主な研究分野:心理言語学、実験語用論、神経言語学
  • 文学研究科 教員のよこがお