それぞれの言語にとって、どんな表現が自然かを最大の関心事に。
それぞれの言語にとって、どんな表現が自然かを最大の関心事に。
所属する高度教養教育・学生支援機構は、全学教育の開発・推進、高等教育国際化の推進、学生相談と学生支援、高等教育の研究・開発等を通して、新たな高等教育のモデル構築をめざすための組織です。そのなかで私は、留学生を対象とする日本語教育を担当しています。また、大学院国際文化研究科の協力教員として、大学院生の教育・指導にもあたっています。
研究面では、現代日本語文法、言語学、日本語教育を専門分野として、日本語教育に必要な「日本語らしさ」とは何か、世界の言語のなかで日本語はどんな特徴を持っているのかについて、アスペクト(開始、進行、継続、完了等)やヴォイス(能動、受動、使役等)といった「文法構造」の課題を中心に研究しています。例えば、机の上に1枚の紙があるとします。この状態を表すとき、普通に「紙があるよ」という言い方もあるでしょうし、ほかにも「紙が置いてある」、「紙が置かれている」などいろいろな言い方が考えられます。紙にメモ書きがあり、誰かが自分への伝言のために置いたとしたら、その中でどれが最も普通に使われるのかを考えると、おそらく「紙が置いてある」が一番使われる、つまり、人が何かのためにそういう状態にした場合に使う表現としては、「置いてある」が日本語らしい表現ということになるでしょう。さらに、他の言語と比較することで、日本語の特徴がより鮮明に見えてきます。「置かれている」というのは受け身文ですが、別の例で言えば、「財布が盗まれた」と日本語では普通に言いますが、英語では「Someone stole my wallet. 誰かが私の財布を盗んだ」というように能動文で表現します。英語の場合、こうしたシチュエーションで受け身文を使うことはありません。それぞれの言語にとって、どういう表現が好まれるか、自然か、ということが私の最大の関心事であり、研究を通して、日本語というものを深く掘り下げてみたいと考えています。