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My Integration日本学 教員インタビュー

綿密な社会調査と一次資料
へのこだわり。
その先に
日本の基層社会の
原像が見えてくる。

05
大学院経済学研究科 教授

長谷部 弘 HASEBE Hiroshi

基層社会である農村社会に光をあて、日本の近代化・現代化プロセスを明らかに。
基層社会である農村社会に光をあて、日本の近代化・現代化プロセスを明らかに。

私の専門である「日本経済史」は、日本の経済社会が近代化・現代化するプロセスを歴史学的に明らかにする研究分野です。歴史学的視点とは、現代に生きる人間(歴史家)による現時点から過去の現実への知的照射であり、日本や世界の未来を展望する上ですぐに役立つというものではありません。分析はあくまで分析であり、そこで明らかになった諸事情をベースに、アクチュアルな問題意識に基づきプラグマティックな議論をしていくというのは次の段階の話です。私たち歴史研究者の務めは、そうした議論のための前提条件を明らかにすることにあると言えるでしょう。
 具体的には、以下の5つの研究に取り組んできました。

  1. 市場経済成立期の地域経済に関する研究
  2. 村落社会・コミュニティに関する歴史的理論的研究
  3. 「市場経済化」の国際的な対比研究
  4. 「市場」に関する流通史的研究
  5. 防災と地域社会に関する歴史研究

「市場」というのも一つの社会であり世界です。それを取引の世界という観点から論じること。市場経済化を単に理論的な市場経済の発展と捉えるのではなく、それぞれの社会や世界の形成や近代化という観点から研究してきたのがです。そしてが、東日本大震災を契機に、歴史的観点から防災組織がどのように作られ運営されてきたのか、農村社会や地域社会での防災組織の萌芽を明らかにしようとする研究です。

これらの研究を通して見えてきたのは、日本の社会の特質と言われているものが、しばしば農村社会で営まれていた生活世界の特性に強い影響を受けているという点です。社会学の分野でイエやムラ、同族集団といった、農村社会の実体組織とそれを動かす動かし方が、実は日本の経済社会全体を地下茎的に結びつけており、時代や場所を越えてさまざまに表出してくる。ここに日本の社会の特性があるように私には見えます。経済学では歴史的経路依存性という言葉があります。経済現象の特徴の違いを歴史的進展経路の違いによって説明しようという考え方ですが、これが最近の経済史研究ではよく用いられます。日本の農村社会の壊れ方は新たな市場経済社会の形成と抱き合わせとなっており、その歴史的経路のあり方が日本的な性格をつくっているとも考えられます。日本の経済社会の近代化・現代化プロセスを明らかにすることが経済史研究の課題ですが、私は、とりわけ、その根幹をなす基層社会の構造を明らかにすることに一貫してテーマを見いだしてきたと言えるかもしれません。

日本の経済社会について独創的・総合的視点での研究に期待。
日本の経済社会について独創的・総合的視点での研究に期待。

日本的経営や日本的経済の特質について、機能的・構造的にはすでに多くの説明がなされています。しかし、そのさらに奥深いところには長い歴史の中で農村社会の中に培われてきた何ものかがあり、企業活動のベースとなる市場活動もまた、そうした農村的なるものを様々な場面でアナロジカルに再生産しながら無数に展開されてきたと考えることができるでしょう。学際的かつ国際的な視点を大胆に取り入れ、従来の学会の枠を超えた新たな学問領域に踏み込むことを旨とする日本学国際共同大学院では、農村的なるものという観点からの研究と議論が可能です。経済史的な観点からすると、工業化、市場経済化、経済成長をはじめとする経済学的なターミノロジーから取り出される様々なイシューがあります。それらをいま言った観点から読み直してみることで、日本的な性格をもつ市場経済といったものがより鮮明に見えてくるのではないでしょうか。その結果、既存の研究科のカリキュラムでは不可能な教育研究の地平が新たに切り開かれることを期待しています。

そのためにも、他の歴史系の研究者と共同で日本社会の基層部分を意識しながら東北地方の総合研究に取り組むほか、文科系の研究科からの多方面にわたる研究者や内外の大学院生の参加を前提に、日本の経済社会をこれまでにない新たな独創的視点や総合的視点で研究できる可能性が生まれることを期待しているところです。

この四半世紀、日本経済の凋落とともに、欧米研究者の日本に関する関心は薄らいでおり、日本研究者の数も減っているというのが現状です。彼らの関心の多くはいま、中国やインド、アフリカなどに向けられています。しかし、自国の社会経済史研究に取り組む研究者は世界各地におり、そうした研究者たちとの比較研究(対比研究)や相互関係の解明というテーマはこれからも成り立たっていくことでしょう。私自身、すでにこれまで、ケンブリッジ大学(イギリス)のM.スパフォード教授やP.スパフォード教授(故人)、クレイグ・マルドリュー教授、ミラノ大学(イタリア)のコンカ教授らと研究交流の経験があり、日本学国際共同大学院に所属する研究者の一人として、今後も様々な方々とお付き合いをしていく予定です。

一次資料が一番強い。そのこだわりを海外研究者との共通の土台に。
一次資料が一番強い。そのこだわりを海外研究者との共通の土台に。

私はフィールドワーカーです。どこに資料が残っているのかを探し歩き、発見するというのが研究の半分ほどを占め、それがまた楽しみでもあります。私のフィールドは信州、上州、東北地方といった古代日本で東山道と呼ばれた地域です。近世期の市場経済の中心は江戸、大阪、京都であり、そこで活躍した商人や職人たちの研究は数多くあります。しかし、私の研究対象は、発展の中心から離れた農村地域です。近世から近代にかけて蚕糸業(製糸業・養蚕業・蚕種業の総称)の盛んな地域でした。近代製糸業の発展地域は長野県岡谷ですが、私は、それを産み出した東山道諸地域の農村地帯の特性を明らかにしていく方が面白い議論ができるように思ってきました。「日本的なるもの」に関わるアカデミックな古典的研究は、このような農村地域をフィールドとして生み出されてきたからです。

一般的な理論を前提に日本の経済社会を分析するのではなく、日本の経済社会の歴史的経験的現実から「日本的なるもの」の特徴を明らかにしていく、というのが私の基本的な研究態度です。現実の中に一般的な理論から推論できる事実を発見する、というしばしば行われる経済分析ではなく、過去や現在の歴史的実態にアプローチするため、様々な資料調査や聞き取り調査を行うことによって「実際どうだったのか」という問題を明らかにしたり、新しい「事実」を発見したりする、というのが私の研究上の関心です。マックス・ウェーバーの社会科学方法論で展開されるように、扱うテーマに即して必要な資料からそれを分析処理する手続きに至るまですべてをオープンにし、その分析が厳密で適切に行われたことをもって「どうです? 客観的に正しいでしょう?」と主張する。それが一次資料にこだわって研究を進める私のやり方です。すべてがうまくいくわけではありませんが、一次資料に即した研究が一番強いのです。これは、長年にわたって蓄積されてきた東北大学経済学研究科ならではの研究の遺産でもあります。そんな一次資料へのこだわりをこれからの日本学研究にも生かせればと思います。上述のヨーロッパの歴史研究者の方々とよい交流ができたのは、これがあったからだと思っていますし、これが日本学国際共同大学院の魅力の一つにもなりうると思っています。

農村社会、そして東北地域を対象に総括的な研究に取り組みたい。

研究者のライフ・ステージとしてみた場合、私はいま「総括」の段階にあります。しかし、年配の研究者の多くと同様、正直、私も「分からないことがまだまだいっぱい」あります。そんな私が現在取り組んでいる研究テーマが、以下の2つです。

  1. コミュニティ(村落社会)と市場経済化に関する総括的研究
  2. 東北地方の資産家の調査研究

では、これまで20年以上取り組んできた長野県上田市上塩尻村での総合研究をまとめ上げ、日本の経済社会について私の観点から高い実証度で明らかにしたいと考えています。この研究では、一村内の8家から18世紀以来の膨大な村文書や家業文書を収集することに成功しました。これは村落研究の世界では希有の僥倖です。それらを用いて一つの地域社会の市場経済化のプロセスを300年程のレンジでモノグラフィックに明らかにするのが目標です。これまでの研究から、近世期の農村社会の家々が、生きていくために実に様々な事業に取り組み、「複合生業」とでもいうべき家業形態を作り出していたという興味深い事実が明らかになりつつあります。多くの家々が、18世紀半ば以降、そんな家業形態で市場経済化に対応し、その延長線上に明治維新期を経験し、市場活動が、農村社会をも含む社会全体に広がり、市場の海のような近代的経済社会が登場し工業化が開始される。そこで浮かび上がってくるのは、日本の経済史における一つの原像のような世界です。農村社会の変化のプロセスを、農家の市場活動という視点から明らかにする作業は文脈の中で説明することは大事な課題だと思います。

は私が取り組む以前に、すでに高く評価される有名な研究がいくつか存在しているわけですが、取り分け東北地方各地の「大地主」と呼ばれた資産家たち、特に事業を行った資産家という視点からの研究はまだ十分になされているわけではないと考えます。そこで数多い東北地方各地の資産家たちの家々を再調査し、資料を集め、それを整理し、分析するという、少々息の長い研究を開始する、という企画が必要となります。よく知られているように、東北大学には、すでに先人の仕事として宮城県桃生郡の斎藤家や岩手県九戸郡大野村の晴山家の文書が所蔵されています。それらの資料と研究に倣いながら、他の確認されざる東北各地の資産家の家々を網羅的に調査研究してみることによって、とかく「後進地域」とラベリングされてきた東北地方の地域経済について、従来とは異なった視点で再評価していくことが出来るのではないかと思っています。

Profile
  • 東北大学大学院経済学研究科教授。経済学博士。東北大学大学院経済学研究科単位取得退学。
    東北大学経済学部助手、教養部講師、国際文化研究科助教授を経て、1999年より現職。
    1993〜1994年、文部省在外研究員として、U.S.A.ミシガン州のカルヴァン大学付属アーカイヴ等にて
    日米交流史関係資料の調査研究に従事。2021年3月定年退職。
  • 主な研究分野:日本経済史
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