清朝の時代に多く残されたモンゴル語の公文書。その中にモンゴル人の声を聞く。
清朝の時代に多く残されたモンゴル語の公文書。その中にモンゴル人の声を聞く。
東洋史というと中国の歴史を思い浮かべる方が多いと思いますが、私が専門としているのは、東洋史の中でもモンゴルの歴史です。モンゴルは13世紀にチンギス・ハーンが国を建て、アジアの歴史に大きな足跡を残しました。日本との関係でいえば、5代目のフビライ・ハーンによる日本への派兵(元寇)が知られています。しかし、その後のモンゴルの歴史についてはあまり知られていないのではないでしょうか。
私自身は、遊牧民の歴史への強い関心からモンゴル史研究の道に足を踏み入れました。モンゴルや遊牧民というと、島国の日本からするといかにも遠くて馴染みのないことのように思われますが、日本の遊牧民史研究には明治以来100年以上もの歴史があります。それは、日本に近代の新しい歴史学が導入された時、当時の先達たちが、中国などの農耕文明の歴史と並ぶ重要なテーマとして、遊牧民の歴史を位置付けたからです。モンゴル人が残した最初の文献である『元朝秘史』は、明治40年(1907年)にはすでに日本語訳が出版されています。こんなところからも、モンゴルや遊牧民の歴史に対する関心の強さをうかがい知ることができるでしょう。
さて、私が研究対象としているのは、17世紀から20世紀初めのモンゴルです。この時代、モンゴルを支配していたのは満洲族が立てた中国最後の王朝=清であり、清はモンゴルにどのような統治を行い、モンゴルの社会はどんな状態だったのかを主要なテーマとしています。遊牧民の歴史という点では、清の時代はあまりぱっとしない時代に思われるかもしれませんが、実は違います。それは、モンゴルの人々が残したモンゴル語の史料が、この時代に大量に残されているからです。遊牧民であるモンゴル人は、文字を持たなかった期間も長く、文字史料をあまり残していません。しかし清の時代には、文書行政がモンゴルに持ち込まれ、モンゴル語による文書行政が行われました。それがモンゴル語の公文書としてたくさん残されたことにより、モンゴル人が自分の言葉で残した史料をもとに、モンゴル史研究を進めることが可能になった。つまり、モンゴルの人々の声を聞き取ることができるようになったのです。