「美術」を手掛かりとして人間にとっての「宗教」の意味に迫る。
「美術」を手掛かりとして人間にとっての「宗教」の意味に迫る。
私の専門は「東洋日本仏教美術史」です。「美術」への関心とともに「宗教」に対する関心があり、美術は宗教を考える上できわめて有効な手掛かりになると考えています。美術史の中には、仏像を彫刻(美術)としてだけ見る研究者もいますが、それでは宗教上の意味が抜け落ちてしまいます。かたちは意味とともに生まれるのであり、研究を通して仏像が本来持っていた意味を明らかにする、というのが私の基本的なスタンスです。
具体的なテーマを挙げると、第一に「宗教における美術の役割」があります。仏教には、「この世」と「あの世」という世界観があり、さらに、「この世で救われるのか」「あの世で救われるのか」という救済観の問題もあります。現代人にとりあの世での救済にはリアリティがないかもしれませんが、宗教をつくり出した人々のほとんどは来世の存在を信じていました。美術には、見えない来世を見えるようにする、あるいは、見えない来世にどうやって行くのかという手段を提供する役割があると考えています。視覚的なメディアである仏教美術を手掛かりとして、仏教の救済観や他界観を明らかにしたい、そして、人々が仏教美術を作り続けてきた切実さに迫ってみたい、そう考えています。
第二のテーマが「美術にあらわれた仏教思想」です。日本固有の信仰である神道よりも、仏教の思想ははるかに深く巧妙であり、仏教の世界観は日本人のものの考え方に深く影響を与えています。仏教が各地に広がる中で、地域固有の伝統や習俗、視覚表現と出会い、仏教的なものの中に在地的なものが入ってくることになります。中国では、中国の伝統的な視覚表現と仏教の表現が習合し、日本では、すでに中国で習合をはたした仏教の表現を受容しているというわけです。日本の仏教美術について、その視覚表現はどこから来て、どんな意味を持つのかを解きほぐすこと、それが第二の関心事です。
仏教美術を考える時、特にその空間に関心を向けています。仏像の内側(胎内に納められた納入品)と外側(寺院・お堂)の分析、さらには、聖なるもの(仏舎利など)を入れる「器」についての研究です。そのため、インドやスリランカ、東南アジアなどでも調査をしています。